ああモーツァルト。『原典版』とは?
現代の演奏家にとって「原典に忠実な演奏」ということは、もはや避けて通れない問題でしょう。
一昔前なら偉大な演奏家が出版した楽譜には、その演奏家が付け足したアーティキュレーションやニュアンス、さらには音の変更など、現代では考えられないような「校訂」が行われていました。
フルートよりもピアノの楽譜の方がより顕著に、これらの校訂が行なわれています。
さて、現代を生きる私のような無名の音楽家にとって、独自の解釈をたくさん盛り込んで演奏することよりも、より原典に忠実に、言い換えると作曲家がどのような音を望んでいたのかを最優先に音楽を構築することを求められるようになりつつある今日です。
これは有名な古楽演奏家のピリオド奏法(当時の楽器、奏法を再現する試み)の影響を、モダン楽器にも持ち込まれているからでしょう。
そして、演奏スタイルの変化とともに、出版される楽譜にも、「原典版」という文字がともに印刷されることが増えているような気がします。
今回は、モーツァルト作曲フルート四重奏曲ニ長調KV. 285を題材に、これらの問題について考察してみようと思います。
原典版とは
わざわざ書くまでもなく、「原典版」とは「作曲者の書いたものを忠実に再現した楽譜、編集者の趣味や独自の意見が排除され客観的であるもの」というような意味でしょう。
Wikipediaから引用すると、
原典版(げんてんばん、ドイツ語:Urtext Edition)は、可能な限り忠実に作曲家の意図を再現することを目的とした、楽譜の版のことである。
とあります。
原典版に関する問題
演奏者にとって、出版された楽譜を眺めているだけでは原典版の楽譜はどの程度忠実に作曲者の書いたものを再現しているのか知ることができません。
ここからはモーツァルトのフルート四重奏ニ長調の譜例を挙げてみます。
なおIMSLPから手稿譜が閲覧できるので参考にしていただければと思います。
フルート四重奏ニ長調 KV.285
問題の箇所
問題の箇所は2楽章の第18、19小節目の3つのラの音です。
第18小節 |
第19小節 |
第18小節最後のラの音にはタイが書き込まれていませんが、手稿譜の第19小節冒頭のラにはタイに見える線が書き込まれています。
ほとんどのフルーティストはこのラをタイで吹いています。
例えば、現代最高のフルーティストの一人であるエマニュエル・パユや、古楽の第一人者であるバルトルド・クイケンもタイで吹いています。
Spotifyの音源をご参照ください。
パユ(1:17秒付近)
クイケン(1:30秒付近)
また、モーツァルトの原典を研究しているStiftung Mozarteum Salzburgが監修し、ベーレンライターから出版されている、おそらく今日最も権威のある楽譜にもタイが書き込まれています。
第8篇:室内楽曲→(88):1つの管楽器を伴う四重奏曲 の右にあるiマークを押すと閲覧できます。
明らかな誤り
実はこの線はタイではなく、単純に4声部の区切りを表す線です。
これは冒頭から一貫して、モーツァルトが書き込んでいるものです。
段落の冒頭でタイになっている場合には、モーツァルトは二重に、あるいは下からタイの線を書き込んでおります。
二重に書き込まれたタイの場合。第1楽章より |
下から書き込まれたタイの場合。第3楽章より |
自筆譜を一見すれば明らかに間違いとわかりますが、なぜタイになっているのでしょうか。
ベーレンライターの校訂報告をみても、この記述は見当たりませんでした。
そのほか
第1楽章第2主題。 モーツァルトの書き込んだアーティキュレーション |
第1楽章提示部集結主題直前。 3連符の後ろ2つにスラーがかけられている |
おわりに
最近の録音ではほぼ必ずタイで演奏されていますが、古い録音でははっきりと分けて演奏されています。
例えば、IMSLPにもアップロードされているジュリアス・ベーカーの録音では、はっきりとはわかりませんがタイでなく分けられて演奏されているように聴こえます。
ジュリアス・ベーカー(7:58秒付近)
原典版だからといってありがたがる前に、可能な限り自分の目で自筆譜を見ることが必要だと痛感します。