演奏に関する意見


 『演奏』とは、芸術家が音楽を聴衆に聴かせるために使う表現方法を指します。聴衆にとって楽しい、心地の良い演奏をする事ができるのは有能で才能のある芸術家だけです。そのため、演奏は全て音楽的な感覚の問題であり、それに関しては合理的に理解することも学ぶこともできないとしばしば考えられます。実際に芸術家も自分が何をしたいのか考えますが、彼は魂を込めて自身が心地良いと感じるように演奏をします。そして聴衆もそのように音楽的な感覚が生まれます。しかし、芸術家は一般的に音楽教育を受け、演奏している曲を研究してきたからこそ、そうする事ができるだけです。真の芸術家は絶対に必要な時だけ『瞬間の芸術』を信頼します。どれだけ稀にそのような最高なものができるか、経験豊富な芸術家は知っています。正確な音や明確なリズムを損なう演奏から全てを遠ざけることに成功すれば、彼は賞賛されるべきです。

音楽家の自然な感覚によってなされる音楽作品の感覚的な把握以外にも、本当に美しい演奏を作り出すことのできるために多くの要素があります。若い音楽家はそれらを考えてみると良いでしょう。以下のようなことで、少なくとも示唆を与えたいと思います。



リズムに関して


ほとんどの人は、音の正確さを演奏の主な条件と考えています。しかし、それよりもはるかに重要な事はリズムの正確さです。人間の耳は音よりもリズムに対してより繊細な感覚を持っています。何千人もの演奏家、指揮者だけでなく特にピアニストや歌手(2流奏者のみならず中には「スター」と呼ばれる人もいます)がこのことを知らずに、あるいは考えずに演奏しています。この点で彼らはおそらく正確な音で演奏するにもかかわらず、音楽に通じた聴衆を満足させる事は決してありません。

リズム感の無い話し手の話を15分も聞く人はいません。リズム感のない音楽家の場合も同様に聴かれませんが、なぜでしょう?なぜならほとんどの聴衆は演奏家よりもリズムについては知りません。演奏中の興奮は素晴らしいテンポの高まりや速さで聴衆を魅了しますが、リズムに対する無感覚とは明らかに異なります。

音楽作品の演奏に注意をはらっている間、耳は常に一定の間隔で次に来る音の予想をしています。私たちの耳は時間を簡単に2、3、4、そして5つの部分に分けています。そして2、3、4拍子として認識します。4拍子は実際には2つの2拍子が組み合わさったものです。他の全ての拍子も2拍子と3拍子の組み合わせから作られます。ドイツ人の耳は7拍子を把握する事が難しく複雑な拍子を認識する事ができませんが、他の国では認識できる国もあります。私達の民謡では『オイゲニウス王子(Prinz Eugenius)』以外には、この拍子記号を使いません。


|で指定された分割の中で、私達の感覚は細かい拍の一部も絶対的な正確なタイミングに来るよう要求しています。

遅い曲ほど小さなタイミングのズレが目立ちます。アダージョは純粋な音色と良い抑揚で演奏する事ができますが、リズムが悪いと悲惨な印象を与えます。荘厳、厳粛、毅然とした落ち着きのある表現は、最も厳格なリズムに依存します。しかし、からかうような(jocoso, giocondo)や、悪戯好きな(burlesco)は厳格なリズムに対する要求がはるかに低くなります。

例えば、メンデルスゾーン=バルトルディの『結婚式行進曲』の冒頭の、トランペットでよくみられる間違えた拍子の演奏を考えてみてください。







これはこの作品から、荘厳に崇高で力強さをすべて奪うのではないか?そしてその後に続くものも、全てこのような雑な演奏になってもおかしくないでしょうか?



上記の例から分かるように、次の音の入力はそれに依存するので、休符も正確なリズム値を持っていなければなりません。短すぎたり長すぎたりする休符は、最もよく起こるリズムの誤りの一つです。耳が期待する音符は、一定の時間に発音しなければならず、これが正確でない場合には、演奏が落ち着かないと言われています。気づいていないか、または礼儀によって演奏者が純粋なビート、明確なリズムを欠いているという事実を隠しています。

歌手が下手な伴奏に文句を言う場合は、ピアノやソロ楽器とはほとんど一緒に演奏することはできませんが、そのような演奏家やソリストは厳格なリズム感を欠いているので、聴衆が真の喜びを分かち合う事はできません。
一方、オーケストラがアンサンブルの演奏に無類の信頼を持ち、ソリストや伴奏者が聴き手の心に穏やかな喜びを呼び起こすならば、「純粋な奇跡、よく練習されている」と言われるでしょう。しかし、それは完全に間違っており、彼らは正確な拍子を維持しているので成功を収めているだけです。しかしこれは運良く、安定したリズム感のある指揮者に恵まれた場合に限って、コンサート・オーケストラの場合に限ります。そのような指揮者は存在しますが、一部の人が望むような「現代的」な指揮者とは限りません。そのため、現代のリズム感の良い指揮者は、ボスワース戦でリチャード王3世が求めた馬とほぼ同じくらいの希少価値があります。


音の動きの完全性


テンポを速くしたり遅くしたり(ラレンタンド)しても、個々の音には全く影響を与えず、それぞれが固有の値を保持し、長さの比率は正しいままでなければなりません。さて、敏感な聴衆にとって真に美しい演奏の第一条件が欠けている場合、その原因はおそらく演奏者の耳にあることが多いが、それ以上に、ある種の道徳的な特徴があります。実際、同じミスを繰り返すことで、落ち着きのないプレー、いわゆる「焦り」につながることが多いのです。原因は全ての楽器に同じではありませんが、全ての楽器に存在しています。その中でも特に多い間違いは以下の通りです。
フルート奏者に多い間違いは次の通りです。


アウフタクトはふさわしい音価が与えられる代わりに、無視される事が非常に多く、簡単に短く切られます。これは演奏者が次の小節からしかカウントを開始しないからです。小節の全て、少なくともアウフタクトのある小節から数えると、正しい拍感に慣れます。



以下のアウフタクトの例では、事前にカウントしたり、小節の部分を先に考えたりする必要があります。




弱拍部の短縮はよくあることです。弱拍(第2拍と第4拍の四分音や八分音符、一六分音符、そして3拍子における第2拍と第3拍目の二および三連符)はあまり強く強調されないので、次の小節の強拍とくらべより短く(軽く)演奏したくなります。反対に次の小節の強拍は前の小節と同様に長く(もしくは短く)され、しばしば速いテンポにおいてはより急ぐプロセスが連続して発生します。

ブレスが遅いと結果的にテンポが遅れたり、次の音が急かされたりします。

フレーズの最後の音符や、小節の最後の音符が加速するのは、注意がフレーズや小節が終わるの前に、すでに次のフレーズや小節に向けられているためです。これもまた、特に次の一節にあるように、急ぐ原因となっています。




三連符から四分音符、六連符から一六分音符などに移行するとき、後者、つまり三連符や六連符に続く音符は速すぎる事がよくあります。逆に、四分音符や一六分音符に続く三連符は、遅すぎることがよくあります。同じ音程のタイで結ばれた2つの音符(1つ目は長い、2つ目は短い音符)に続くスタッカートの場合、タイで結ばれた2つ目の音符は通常は短縮され、多くの場合は完全に省略されます。



走句と結ばれたトリルは、特にタイで結ばれた音符を省略して演奏される事が好まれます。


急がれるのは以下のような箇所です。



六連符を2x3に分ける代わりに、


2x3の三連符とすることを勧めます。





これらを通じて本来の音楽的思考も全く別ものになっていることは言うまでもありません。

 続く音符がスタッカートの場合、最後のタイで結ばれた音符は少し短すぎます。







付点音符は、次に付帯する音符の3倍の長さではなく、たった2倍の長さにしかならず、三連符の一部が省略されてしまうことがよくあります。複付点音符は、次の補助音符の7倍の長さでなければならないのですが短すぎ、ほとんど付点音符のように演奏される事がよく起こります。

付点音符に続く小節のパートは、特に6/8拍子の次の例のようなパートでは、非常に落ち着きの無さが現れる事が多いです。





上述したタイミングの間違いは、理解力の低さによるところが大きいですが、他にも運指の悪さによるものもあります。すでに「指の体操」の項目では、すべての指が等しく意志に簡単に従うことができるわけではないことを明らかにしています。練習を通じて指の運動を均等にすることを怠っていた場合、ある指はより速く動き、ある指はより遅く動きます。音色を犠牲にして運指をするか、全て良い音で演奏するがガチャガチャした雑音や途切れ途切れになりリズムが悪くなってしまうか、どちらか選択肢が残っています。例えば、いくつかの小節を16分音符で演奏する場合、最初の4つの16分音符は必ずふさわしい拍に入りますが、残りの3拍は非常に不揃いな長さになってしまうことがあります。演奏中に自分を意識的に批判すると、こういった不安定な部分が見えてきます。これらは通常、指の動きの動きの鈍さ原因ではなく、動きの正確さが原因であることが多いです。例えば、連続する3つの音符に対して1回だけ指を上げ下げする場合、例えば、


これは、




少し短すぎます。 しかも、指を下げるよりも持ち上げる方が難しいのです。この難しさは、不均一なトリルや歪んだダブルストロークの原因となり、上の音は大抵短すぎるため良くありません。



このような、最初にキーを押えてからすぐにまた押さえるような音符がある場合には、その音符は、例えば、「最初に掴んでからすぐにまた叩く」というような感じになり、その音符は、「最初に掴んでからすぐにまた叩く」というような感じになります。

次のような同じ指遣いの続くパッセージでは、初めの音の運指がもう一度叩かれる場合があります。


この2つの連続する同じ音を、同じ長さにするのは非常に難しいです。このようなパッセージを正しいリズムで流暢に再現することができない場合は、2つの同音の最初の音が常に短すぎます。

以下のような例では、



練習の際に学習者は八分音符を数える必要があります。そうしないと正確な拍を維持する事は非常に困難になります。


強弱


リズムの正確な遵守、音の動きの完全性に続いて、演奏には音の強さが最も重要です。この点でも、ppからffまでのすべての音の強さを表現することができ、安定しており、どのような不確実な事は回避されなければなりません。以下のような間違えがよく起こります。

長い音符は同じ音量で保たれずに、息の具合で強くなったり弱くなったりします。

音の出だしは弱く、その後増幅されます。特に、楽器の調律が悪かったり、補助的な指使いが多かったり、楽器を口の前で回すことに慣れてしまっている奏者に起こります。いずれの場合も、無事に音が出たと思った時に限って強い音量で吹いてしまう傾向があります。このいわゆる「押し」が非常に不愉快に聞こえます。速いテンポで高音に低音が続くと、低音が弱くなってしまいます。

良い音の強調は、その音楽の音楽的な構造を完全に理解しているかどうかにかかっています。そうでない限り、感覚は不確かな道しるべであり、その方向性に身を委ねてはなりません。

まず、pp, p, mf, f, ffなどの表記は、必ずしもその下の音符を指しているわけではなく、通常は曲の部分の全てを指していることに注意しなければなりません。したがって、曲の主要なマスがどのような音程で演奏されるのか、また、その曲の主な音量の中でどのような音量の増減を行うのかを考える必要があります。個々の音符は、全体の音量の強さから関係を引き裂かれてはなリマせん。むしろ、個別に強調される音符や細かい部分は、強さを注意深く扱い、孤立しているように見えないように細心の注意を払わなければなりません。ppやpのsfzはフォルテで吹いてはいけないし、pのcresc.はフォルテで吹いてはいけません。ff.のdim.もpp.に落とすことは許されるべきではありません。ここまでのところ、重要な音の強調は大抵読み飛ばすことができます。もっと難しいのは、気持ちを強調することです。ここで正しいことをするためには、作品の区切りを細かい楽節や、組み合わされた動機に分解して分析する必要があります。これは作曲の知識がなければ、少なくとも音楽的な美意識がなければできません。単純な区切りは通常8小節で構成され、それぞれ4小節の2つの動機、もしくは4つの動機からなる2小節の楽節に分かれています。通常は2、4、あるいは8小節で構成されます。しかし、楽節は必ずしも小節の終わりや、アウフタクトで区切られる訳ではありません。

個々のフレーズや楽節内の強調が感覚に委ねられている場合にも、同じことが無意識のうちに特定の法則に従います。強調は小節内の個々の部分で程度が異なり、強拍と弱拍にある音の差からアクセントが感じられます。
通常、重い拍に置かれた音符は少し強調した感じで感じるものですが、軽い拍と重い拍を区別するためには、そうしなければならないとは言えません。細かいリズム感は、2つ以上の音を同じ力で叩いても、小節内の軽い部分と重い部分にも現れます。このように、拍が偶数に分かれているときに強調を認識することができます。4拍子の小節では、小節の第1拍と第3拍が最も強く現れ、第2拍と第4拍は弱拍として音色が弱くなりますが、短くしてはいけません。同様に四分音符の中の八分音符や一六分音符、三連符なども同様に分ける事ができます。三連符の場合も、初めの音が強調されることがありますが、他の2つよりも長くはありません。6拍子は(4拍子のように)2つに分かれていて、その中で第1拍と第4拍が強拍としてそれぞれ強調され、強拍と弱拍に分かれています。このように、2種類の異なる強調を観察することができます。一般的には作曲家によって規定された強調、そして拍が内包している演奏者に委ねられた強調があります。この拍が内包している強調は、フルート演奏者によって誤解され、しばしば誤った結果を招くことになります。よく知られているように、高音は、アンブシュアが発達していないとより大きな空気の放出を必要とするため、弱拍における最高音のフレーズは強調されてしまい、その結果、問題の小節の構造が歪んでしまいます。

※訳注:弱拍における|の書かれた部分では、
アンブシュアが安定しないと強調されてしまう。


表情記号


性格付けや音楽表現の非常に広範な手段は、テンポの加速と減速です。accelerandoやrallentandoが書かれていても、これをどのくらいかけるのかは感覚の問題です。多くの場合、何も規定されていないことが多いので、適切にテンポを変更する場所は自分で見つける必要があります。それについてはあまり言えません。たいてい情熱が高まるとより大きな変化を必要とし、ほかの方法でも音楽作品に示されます。例えば、同じようなフレーズが高音域で常に高音域でクレッシェンドされ、accelerandoが置かれます。また、加速する代わりにしばしばrallentandoも効果的です。生き生きとした後に真面目な歌曲的なメロディーがある場合には、前よりもテンポを遅くする必要があります。いずれにせよ、テンポの加速は情熱の増加がほかの音楽的手段、すなわち音高やリズム、音の強さによって示されている場合にのみ使用できます。この反対の場合、テンポは減速します。

音楽の一般的な特徴は、タイトルによって示されることがよくあります。 これは演奏でも期待されていることであり、この情報の意味を明確にするだけでなく、意図した特性がどのように表現されているかを知る必要があります。 このような文字の指定は次のとおりです。
 Marcia(行進曲)、Marche funêbre(葬儀行進曲)、Berceuse(子守唄)、Pastorale(牧歌)、Chasse(狩猟曲)、Fantasie mélancolique(叙情的幻想曲)。 そのような作品の性格を満たすために、タイトルにふさわしい表現方法を利用する事でうまくいきます。 次に、拍子、音色、音の強さ、速度など、表現方法の正しい適用方法を見つけます。 ここでは演奏者の感覚に頼ることも多くを教えることができないが、言葉で説明できることもたくさんあります。

勇敢で強い(marciale)表現は、すべての音符が揺らぎを伴わずリズムに忠実に、断固にしっかりとすると成功します。音色の大きな変化は適切ではありませんし、他の装飾も適切ではありません。ここではビブラートを用いることは非常に良くありません。

朗らかに生き生きと(ブリオーゾ、アレグレッツァ)は、スラーで結ばれていない音符の後ろに小さな、非常に取るに足らない間が生じるように休符を軽く置くことによって達成することができます。スタッカートの置かれた八分音符や十六分音符は、ほぼ点が休符であるかのように演奏します。リズムに正確な音の長さは、小さな休符によって示す必要はありません。速すぎるテンポには注意が必要です。

陽気で高揚感のある ( giocoso, impetuoso) は、より速いテンポでも同様の演奏をします。

優雅な(grazioso)は、どちらかというと素早く、軽くて正確に滑らかさで演奏されます。個々の音符の間に挟まれることのない滑らかなリズムが求められます。音色に関しては、こもった音色を考慮して、b2,c3,fis1,f2を避けることもできます。c2,cis2,fis2のように開きすぎた音色は、あまり適しません。ビブラートはこの性格では制限されておらず、音の装飾の手段としてのみ使用される場合には、非常に良い効果をもたらします。


コミカルで荒唐無稽で、悪魔的(infernale)でさえも、意図的で唐突で、音程や音色、テンポの予想外のコントラストによって表現されます。それらのほとんどは、すでに音楽作品にも表されています。美しさの尺度を損なうことなく、低音は荒くて垂れ下がり、高音は鋭くて突き刺すような音を出すことは容易ではなく、技術的な不確実性が起こらないようにするためには、名人芸と努力が必要です。ヴィブラートやハーモニクスは、このキャラクターの助けにはなりません。

ナイチンゲール夫人(※訳注:Johann Hermann Schein作曲の『Frau Nachtigall mit süßem Schall』を指すと思われる)に聴かれるような甘く(languendo)、牧歌交響曲(※訳注:ベートーヴェンの交響曲第6番『田園』)のように、個々のこもった音を柔らかく静かにクレッシェンドしたりでクレッシェンドすることで達成することができます。前打音は短くしてはいけません。

柔らかい(dolce)、親密な、上品な美しい音は、音に粗さのない、音が変わる時に雑音のない最高の純度を要求しています。指使いはgraziosoと同じです。正確ではあるが、強拍を強調することはありません。軽いビブラートが適切です。

荘厳で荘厳な(grave)音を出すためには、ビブラートを抑えた力強い音色、非常に安定した音色、そして一貫したオープンフィンガリングが必要です。c2、cis2、fis2は、すべてのこもった音色を避けるのに適しています。付点音符の長さは正確に守ること。しっかりとしたタンギングと、息の支えが主な条件となります。

憂鬱な(malinconico)、夢のような悲しい調べは、一般的に柔らかいタンギングを必要とします。すべての音符はポルタメントのように滑らかに聴こえなければなりません。つまり、それらの音符はリズムに正確にレガートでなければなりませんが、同時にできるだけ多くのルバートを用います。ppでは、フラジョレットやこもった音色が好ましいが、オープンな音色も直前に休符がなく、純粋な音階でのみ使用する事ができます。

情熱的な(affettuoso, appassionato)はリズムの自由度が高い。パッセージは明快でなければなりませんが、幅広く重くすることもできます。
この意味で、上向きに上昇する音階はビブラートを用いて吹くことができますが、これにオープンフィンガリングから生じる完全な音色を用います。


変奏曲


バリエーションを演奏する際には、それがそれ自体が独立した曲であるかどうか、すなわち、与えられたテーマを単に変化させるだけのものなのか、それとも他の楽器が奏でる旋律をより魅力的なものにする音の花束のようなものなのか、考えてみることが重要である。

最初の場合、演奏はかなり自由で特にリズムに関しては、よりリラックスしたものになります。重要なのは、その主題が認知され、聴衆の記憶に残っているということです。

若いフルート奏者は主題が演奏された後、次の変奏はすごい速さで演奏されなければならないと考えていることがよくあります。通常、これは、何が上と下にあるのかをほとんど認識することができず、聴衆に大きな混乱を招くことになります。ここでも落ち着くことが推奨されています。変奏曲を練習する際には、主題を考えることを忘れないでください。バリエーションを明確にするためには、通常、テンポは、要求される単純な主題よりも遅くなります。

2つ目の例では、例えば、「ウィリアム=テル」序曲のイングリッシュホルンソロへの変奏曲、有名なTitlのセレナーデ、美しい詩的な夜の歌『Preziosa』(ヴォーカルとフレンチホルン)などは、ソロの声部のリズムに厳密に従わなければならず、引きずったり、急いだりしてはいけません。


カデンツァ


カデンツァを演奏する場合、テンポと作品の種類に依存します。曲中にカデンツァがある場合、たとえアダージョの後にカデンツァが続いたとしても、最初は華麗で充実した音色で始めてもよいが、柔らかく繊細なアダージョやアンダンテの最後にカデンツァが来る場合は、そのテンポと音色をカデンツァ前のものに合わせなければなりません。カデンツァが曲の旋律に密着している場合は(そうあるべきだが)、それを強調しなければならなりません。カデンツァを演奏する際にはある程度情熱的でなければなりませんが、また静かさと穏やかさも必要とします。ブレスをする場所を正確に知って、息を維持しなければならなりません。カデンツァの最後のトリルは、特に指示がない限り、できるだけ長く、強く演奏しなければならない。伴奏が始まるように、後打音はゆっくりと弾きます。

最後に、良いパフォーマンスをより効果的にするための2つの事に注目していただきたいと思います。まず、作品の選択、次に演奏の簡潔さ。このような状況を考慮しないことは、演奏家にとっても聴衆にとっても不満の原因となることが非常に多いのです。選曲についてまだ自分の判断がつかない人や、聴衆の要求を知らない人は、せめて年配で経験豊富な音楽家のアドバイスに耳を傾けるべきでしょう。しかし、演奏時間に関しては、短いことは決して問題ではありません。演奏が長すぎると、どんなに完璧に演奏されるフルートのソロでさえ退屈になります。














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