生徒の才能について(聴覚と絶対音感、リズム感)

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第3部:フルート奏法


生徒の才能について


聴覚に関して
絶対音感
リズム感




特に楽器を演奏することを考え、何よりもまず音楽に身を捧げたいと思っている若者は、健康状態を考慮しなければならない。若い奏者に目立つようなたくましい身体は必要ないけれども、胸郭が広く柔軟で、唇や歯並びが整っており、舌がよく動かせ、目が良ければ楽譜を読む負担が減る。近視であれば単純に目にあった眼鏡をかければ良い。

重要なことではないが、若いうちにすでに斜視や喘息などであり、楽器を演奏することを避けられないならばフルートよりも、音域が広範囲ではない楽器を選んだほうが良い。それにはとても深刻な事情がある。音楽家を育てる教育者はこの点について、特に注意しなければならないだろう。彼らはこのことを気にかけることがほとんどないばかりでなく、未熟な生徒にとって本当に必要な楽器を取り上げてしまい、オーケストラの空いた楽器をやらせてしまいがちだからだ。単純に、音域を把握するために必要な視力が足りないことは、後に彼が上達することの妨げとなり上達に影響するであろう。残念ながら、私は頻繁にこれらのケースを目にしてきた。


聴覚に関して

聴覚に関して言えば、時々言われる「音楽的な聴覚」は初心者にとって必ずしも備わっていなければならないものではない。重要なことは差し当り、難聴でないということである。音楽的な聴覚は少なくとも教育によって判断できるようになり身につく。本末転倒の嘆かわしいことは、音楽に疎い両親の意見は音楽に疎い子供を学校の退屈な授業から解放するかもしれないが、もっと見当違いなことは、教師がそのような間違いをすることやめなければ無駄に疲れ、辛抱しなければならず、時間が犠牲になる。疲れた割に得られるものは何もない。身体のすべての部分と臓器はまずふさわしく成長する。聴覚だけが違うと言えるのだろうか?


子供の聴覚障害はたいてい、音を聞く聴覚器官のコントロールの不具合から生じる。聴覚器官を使わないために、聴覚の発達が遅れる。聴覚器官を働かせるきっかけがあり、そこで音楽的な考え方を学べば、聴覚は成長するだろう。聴神経は我々の身体の中で最も敏感であり、大きな荒い音の影響で過度に刺激されるとすぐに駄目になってしまう。良い音を聴き分けることによって、音の違いや、音色などを練習することができより力をつけることができる。

今日、どのくらいの耳の構造のことで説明できないことがあるだろうか。それゆえ、様々な角度から見ても、音楽的聴覚というものを説明することできない。しばしば、音楽的や芸術的な聴覚はあたかも音楽家の身体的な成長に左右され、成長が一旦止まった頃(24歳かもう少し後)に完全に成熟したように見える。

新曲視唱などの教育方法は本当に何も獲得することがない。聴覚のためというよりも歌うことに必要な技術を練習することになる。子供と優れた音楽的聴覚を備えた大人は、音を声に出して歌う必要はない。しかし、何の音が出ているか該当する音を口笛で真似させたり、ピアノで示しすぐに当てさせる。粉挽職人でアマチュア音楽家だった私の父は聴いた音すべてを確実に口笛を吹いたが、歌って音をあてた試しはなかった。

絶対音感


聴いた音を正しく当てることのできる「絶対音感」という才能は、神の贈り物だ。時々出会う人の中には、間違いを犯さず確実に、また驚くほど素早く音程や音程の距離を当て音名を言う。ゲヴァントハウスオーケストラのとあるバイオリニストは、音の高さだけでなく和音も素早く当ててしまう(※訳注:シュヴェードラーはゲヴァントハウスオーケストラの首席奏者だった)。彼は瞬時に和音を聴き分け、和音の中のおかしい音を音楽理論の規則に基づいて示すことができる。

奇妙なことに、絶対音感を持っていても同時に弾かれたり少しずらして惹かれた2つの音のどちらが高い音で、低いか示すことができない人もいる。この状態は(絶対音感を別として)、しばしば音楽的な才能を持ったオーケストラの音楽家(たいてい若い)に見られる。彼らはすぐには、他のオーケストラの楽器や歌が高すぎるか、もしくは低すぎるかわからない。そして自身の楽器をあてがってやっと、どの楽器や声が外れているのかはっきりする。

絶対音感は生まれつきのものであり、喜んで自慢したくなるが、絶対音感は良い音楽をするために必要不可欠なものではない。聴音のための正しい教育方法で聴覚を鍛えれば、だんだんと音の揺れ動く理由がわかるようになり、すぐに一つの音や音程がわかるようになる。初めは難しいかもしれないが、だんだんと容易にできるようになるだろう。

遺憾なのは、若い音楽家は全く、あるいはほとんど歌や、完璧で素晴らしい人間の声の表現を知らないことである。同時に、またたくさんの観点から歌を練習することは楽器を演奏することに必要なものを要求する。そして合唱団で活動したことがあれば、どれが音楽的感覚や聴く能力のためになる”視唱”練習となるかあれば知っているだろう。ライプツィヒのトーマス教会少年合唱団の例をあげよう。とても若い可愛らしい少年音楽家たちは、完全に音を聴き取ることに関して確実に成し遂げる。



上述の二つの点では、生徒の身体的素質を考察したが、第三の点として私は精神的な特性に触れたい。どの観点から見ても、若い芸術家にとって心の状態はとても大きな役割を果たす。また教師としての役割も重要である。新鮮で生き生きとした自然さや健全な精神はリズムに現れ、怠惰なあるいは神経質な生徒を正しい道に導くことはしばしば非常に難しい(もしくは全くできない)。

また奇妙な体験をすることもある。他の知識や高度な教育は事実を言えば、音楽的なリズムの助けとなることはない。私が体験したのは、高度な教育を受けたあるアマチュアの紳士が、針の穴を通るよりもさらにおかしな考えをしており、「皇帝陛下万歳」(※訳注:ドイツの非公式の国家)の曲のリズムが聴衆に完璧に聴こえることが、彼にとって成功であることであった。


リズム感


自然なリズムの感覚を知り、磨くけるようあえてこれらの練習方法を示そう。単純な歌がこの上なく役立つ助けになると思われる。ぴったりなのは徒手体操や行進練習の曲で、リズムの練習となるだろう。ただし、生徒が正しい目的でこれらのレッスンを受けること、また生徒に拍の役割をとりわけ理解させるという保留付きであるが。

これらの練習(音節と旋律の強調)は生徒に1度に全てさせるのではなく、様々なやり方で、各旋律や休みなどのグループごとに動く(強調する)ことである。2/4拍子では2つに分け、3/4拍子では3つのグループ、6/8拍子では6つか2つのグループに分ける。音楽の生徒はそれらの方法で毎日練習しなければならないし、そうやって生徒に、マーチやダンスのリズムを演奏する時に打楽器がリズムを支配するチャンスやきっかけを与える。シンフォニーオーケストラの管楽器奏者や弦楽器奏者は立派に協力し合い、もし打楽器が気まぐれであることは、大きな驚きを意味する。

演奏し拍を数えさせたり。ピアノで伴奏し音を数えさせることもリズムを理解するために効果のある教材だ。生徒がリズム感覚がなく拍子をうまく取れない場合には、当然役には立たない。彼はただ彼がリズム感なく演奏するように、拍を取ることも間違えるだろう。 

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