フルートの起源と発展4 クヴァンツ以降

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クヴァンツ





フルートの起源と発展4:クヴァンツ以降



ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ(Johann Joachim Quantz)は1697年1月30日にオーバーシェーデンに生まれ、1773年7月12日にポツダムで没した。『フルート奏法試論(Versuch einer Anweisung,die Flöte Traversiere zu spielen)』(1780年ブレスラウ)の著者であり、卓越したフルーティスト、そしてフリードリヒ大王(Friedrich des Großen)の教師であった彼はまた、フルート製作家としても評価しきれないほど卓越した成果を残した。
古い方法で作られたフルート(下)とクヴァンツの1726年のフルート(上)。
クヴァンツのフルートには、EsとDisの違いが吹き分けられるよう、
右手小指に二つのキーが付いている。
EsとDisの音のコンマの違いをつけるため、クヴァンツは足部管に2つのキーを取り付けた(上記画像を参照のこと)。しかしそれはほんのわずかにしか有用ではないと判明したため、間もなく用いられることは無くなった。

当時のいくつか他の発明も、楽器を根本的に改良することにわずかに貢献したが、それと同様に大量の役に立たないものも生み出した。例えば、パリで作られたガラスや混凝紙(Papiermaché)製、陶磁器製のフルートも試みられている。

 クヴァンツのフルートは彼の死後になってようやく、高度な要求に添えるよう改良された。

ジョセフ・タセット(Jof.Tacet イギリス)やゲオルク・トロムリッツ(J.Georg Tromlitz ライプツィヒ)、そして特に1800年に没したカール・アウグスト・グレンザー(Karl August Grenser ドレスデン) などのフルートのヴィルトゥオーゾ達は、優れたフルート奏者であっただけでなく、楽器製作家でもあった。彼らは自身の楽器を改良することで、ト長調やニ長調を完全に演奏できるだけでなく、できる限りその他の調も容易に演奏できるようにした。そして半音階の連続もそれ以上不可能ではなくなった。

 Disキーに加えてF、Gis、BそしてCのためのキーも取り付けた。これらのキーを用いることで3オクターブも完全になった。楽器の音域が増すにつれ楽器の管の長さも長くなり、低いCis、C、そしてのちにHまで出せるキーが取り付けられた。確かにトリルキーとクランクは楽器を複雑にしたが、しかしまたより実用的になった。

 これらの外見上の改良は音色の面で、残念ながら円錐管フルートに良い設計となることはなかった。軽い音の立ち上がり、音の充実そして澄んだ音色は、合理的な音孔によってもたらされる。そして、今まさに現代のヴィルトゥオーゾ達の要求する半音階を演奏できるフルートを作ることが楽器製作家の主要課題となり、楽器製作家達は前に向かってひたすら進んだ。



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